わだかまりは残したまま


 指先で触れた顎はざらついていた。
伸ばすつもりで放置しているのでない、無精髭はいつも響也の肌をちくりと刺す。擦り上げられば、もたらされる感覚は痛がゆい。
 傷が残る程の強い刺激ではないのに、肌がざわつくような触感だ。

「う〜う…ン。」

 鼻から抜ける声に、一瞬手を引いた。けれど、成歩堂は寝返りを打っただけで響也に背中を向けたまま、寝息をたてる。
 何をそんなに焦ってしまったのかと、響也は頬を染めた。
 自分達はそれ以上に相手に触れ混ざり合っているではないか。それが、こんな僅かな接触に敏感になってしまうなど、どうかしている。
 何も纏っていない背中を見つめながら、けれど響也は溜息を付いてしまう。
性欲を発散したばかりなのに、成歩堂に触れていたいと思う自分に戸惑ってしまう。セックスで快楽を求めたい訳ではなく、ただ、この男の体温を感じていたいとか…それって…。

「…どうかしてる…。」

 ぼそりと呟き、成歩堂が巻き付けて持っていったシーツを取り返すべく、彼に背中を向けるとシーツを自分に向けて引いた。
 夜明けまではまだ充分時間がある。眠ってしまえと思っていたのに、軽く引っ張ったシーツと共に転がってきたのは、成歩堂の身体だった。ピタリと背中に頬は密着されて、またむず痒い感覚が戻ってくる。
 唇から吐き出される息が響也の肌に熱さを塗り込み、ゾクリと覚えのある感覚が背筋を走る。成歩堂は、ただぐっすりと眠り込んでいるだけなのに。こんな些細な事で熱を持つ身体はまるで、自分ばかりが彼の事を好きな証明のようだ。
 切ない恋のフレーズでも湧いてきそうな状況だったが、湧いてきたのはそれだけではない。身体の中心がジンと熱を帯びる。成歩堂のしつこいほどの愛撫を受けて、何度か射精したはずなのに、身体が疼いた。
 気恥ずかしくなり右手で包めば、血が集まりつつあるそこは僅かに堅さを増していた。

 …若いっていいねぇ。回復力が違う…。

 そんな言葉でいつも揶揄られているせいか、背中に密着している成歩堂に妙に気がいく。彼の温度、彼の吐息、唇が無精ひげが擦れる触感。
 その度にゾクゾクと背が震え、口が渇いた。
 ゴクリと唾を飲み込んで、響也は自分自身を包んでいた指に意図的に力を込めた。ぬるりと滑るそれに心臓が鳴った。
 それでも、もう少し強く指で擦る。そしてもう少し、…もっと…。
「…ン…。」 
 鼻に抜ける声が出て、慌てて指を止めた。気付かれてしまっただろうかと背中を伺うが、変わらず眠っているようだった。
 安堵の息を吐き、そうやって眠っていてさえ自分を翻弄する男に憤る。
 それが、今この時は不条理なものだったとしても、常日頃から成歩堂に手の上で操られている感覚はある。それが年上の余裕という奴なのだろう事も、同じ位歳の離れた兄の存在からもわかっていた。それでも、成歩堂と自分は恋人同士で、身体だけの繋がりだとしても一方的な関係は嫌、それが真実だ。

 今、眠っている彼に仕掛けたら、その思いは成就するものだろうか。

 胸元の突起を指先で弄り、首筋に舌を這わせて太腿から内側に愛撫を施す。熱い息を吐かせる唇に舌をねじ込ませてみれば…。

「どうして君はそう煽るかなぁ」

 振り向いた響也に、成歩堂が目を眇めた。目を覚ましていたとは思っていなかった響也は目を見開く。
 そうして、成歩堂の言葉に不審を感じた。
「煽、る…?」
「もっと僕が欲しいって思ってくれてたんだよね。響也くんは素直じゃないなぁ。」
 抱き込む腕は強引に、指先は柔らかく響也の性感帯に触れてくる。
「え?ちょ…待って、待ってってば!」
「平気、平気。後一回や二回や三回位は腰も持つから。明日ぎっくり腰で動けなくなってても、仕事には行かなきゃすむから大丈夫。その代わり、みぬきの給食費を用立ててもらえると嬉しいなぁ。」
「何勝手な事言って…、だから人の話も聞けって…、おっさん!!」
 腕を突っぱね暴れ出そうとした響也を成歩堂は軽くいなし、ちゅっと目尻に口付けを落とす。
「何?」
 ニコリと笑う顔に、響也も一瞬毒気を抜かれた。
「……アンタはシツコイから一回でいい…。」
「遠慮なんかしなくても充分に満足させてあげるから。」
 抵抗を止めてぼそぼそと苦情を述べるだけの響也を、成歩堂はクスクスと笑う。
「可愛いなぁ、ホント。」
「煩い!」
 ムッと口端を曲げた響也は自ら唇を重ねて成歩堂の戯言を封じる。
わだかまりは残したままでも、若い身体は快楽に弱い。それも好きな相手から与えられるものならば格別だ。それを逃してしまうつもりなど、響也にはなかった。
 集中しろという意もこめた深い口付けに成歩堂はすぐに気付き、睦言も戯言も言わずに自分に没頭する相手に、響也も溺れる。
 
 成歩堂にとって、躊躇いもいきどおりも、己にむけられている以上は全て愛おしいのだと理解するには、響也の時間がいま少し足りない事。
 その事実に気がつくのはまだ先の話のようだ。  


〜Fin



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